岡山地方裁判所 昭和54年(ヨ)60号 決定 1979年7月31日
申請人
橘照彦
(ほか一六名)
右申請人一七名訴訟代理人弁護士
奥津亘
(ほか九名)
被申請人
住友重機械工業株式会社
右代表者代表取締役
西村恒三郎
右訴訟代理人弁護士
古田進
(ほか一名)
右当事者間の地位保全等仮処分申請事件につき、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
申請人磯崎雄二、同津田啓三、同辻寿雄を除くその余の申請人らが、被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。
被申請人は、申請人磯崎、同津田、同辻を除くその余の申請人らに対し、別紙(略)(一)認容金額一覧表一時金欄記載の金員及び昭和五四年四月一日から本案判決確定まで毎月二五日限り一ケ月につき同表月額賃金欄記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。
申請人磯崎、同津田、同辻の本件申請をいずれも却下する。
申請費用中、申請人磯崎、同津田、同辻と被申請人との間に生じた分は右申請人三名の負担とし、その余の申請人らと被申請人との間に生じた分は被申請人の負担とする。
理由
第一、申請の趣旨及び理由
別紙(二)仮処分申請書に記載のとおりであるからこれを引用する。
第二、疏明される事実
当事者双方提出の各疏明資料によれば、以下の事実が一応認められる(双方の主張のうち争いがないとみられるものを含む)。
一 当事者
被申請人(以下会社という)は、資本金約二一二億円、従業員約一万一六〇〇人(昭和五三年一〇月当時)の規模を有し、船舶及び産業機械を製造販売する我国有数の企業であって、東京に本社を置き、浦賀、追浜各造船所及び千葉、名古屋、玉島、愛媛各製造所を擁している。
申請人らは、いずれも会社に雇用され、会社玉島製造所の従業員として勤務してきた者で、いずれも総評全日本造船機械労働組合玉島分会(以下玉島分会という。)の組合員である。
会社には、右玉島分会の他に総評系の全日本造船機械労働組合浦賀分会及び全国金属労働組合住友重機械支部がある(以上を総評系三組合という)ほか、会社従業員の約九七パーセントの大多数をもって組織する同盟系の造船重機住友重機械労働組合(以下住重労組という)があり、玉島製造所においても、玉島分会員約一〇〇名、住重労組玉島支部員約九〇〇名が存する。
二、本件解雇
会社は、昭和五四年三月六日申請人らに対し、同年三月一二日付をもって、就業規則五〇条一項三号「やむをえない業務上の都合によるとき」に該当するとの理由で解雇する旨の意思表示をし(以下本件解雇という)、その後岡山県地方労働委員会の和解斡旋により、同月三日右解雇の効力を一時留保したが、同月二一日に至り、翌二二日付をもって右留保した効力を発効させる旨の意思表示をなし、右通知はそのころ申請人らに到達した。
三、本件解雇に至る経緯
1 会社は、産業機械および船舶の我国有数のメーカーとして、昭和四九年ころまでは業績もよく順調に発展していたが、昭和四八年秋のいわゆる石油ショックにより、昭和四九年をピークに受注が減少し、採算も悪化するなど、業績が著しく落ちこんだ。特に造船部門については、世界的船腹過剰の状況に加え、円高や中後進国の同部門への進出により、我国の市場占有率は従来の五〇パーセントから約三五パーセントに低下し、いまや構造不況業種として戦後最大と言われる不況に直面している。現に昭和五三年七月、海運造船合理化審議会は、今後の造船業の経営安定化方策として、いわゆる造船大手七社については設備の四〇パーセントを削減する必要がある旨を運輸大臣宛に答申し、これに沿って、同年一二月には運輸大臣から会社に対し、三五パーセントの設備処理及び大幅な操業調整を行うよう勧告がなされた。このような情勢から、会社における船舶部門の受注高は、昭和四八年度を一〇〇パーセントとした場合五二年度四五パーセント五三年度一二パーセントを計上したに過ぎず、しかも船価自体も円高を考慮すると昭和四八年度に比しほぼ半減程度まで下落している。
また、産業機械部門についても、新規大型設備投資が皆無に近いため、輸出への依存度が高まったが、これも円高により甚だしい打撃を蒙っている。
なお、玉島製造所においては、船舶用ディーゼルエンジンが生産の九〇パーセント強を占めていたが、昭和五二年度売上げ高に比較して五三年度は四〇パーセント減、五四年度の見通しは七五パーセント減という甚だしい下落を来したため、印刷機・製紙機械等の製造に転換しつつあるが、後発分野のため業績は安定に至っていない。
2 会社は右のような経営危機を打開するため、昭和五一年以降、次の諸方策を実施した。
(一) 受注を増大して仕事量の確保をはかるべく、建設機械等の好況部門の営業を強化し、平均二〇パーセントに及ぶ赤字受注を断行し、関連技術を生かして事業の新規開発あるいは拡大をはかるため、「住重岡山エンジニアリング」など五社に及ぶ新会社を設立した。また、固定費削減のため、設備投資の圧縮、遊休資産の売却、売掛債権の早期回収による金利負担の軽減などの措置をとった。
(二) 次に、人員の減量、人件費の削減をはかるため、次の方策を実施した。すなわち、(1)昭和五一年四月以降新規採用を中止し、退職者の補充をしない方針をとった。これによる減員は八六〇人余である。(2)昭和五二年一〇月には、全社一万一六〇〇名の人員を五四年三月末までに一万名に減員する計画を立て、その方策として、全社的な規模で人員の配置換えを実施し、不況部門から好況部門への配転・応援、下請外注作業の社内への取込み、職種転換、系列関連企業や下請・外注企業への出向・応援等により過剰人員の吸収をはかった。(3)役員、管理職の賞与、給与のカット、一般従業員の時間外労働の規制、福利厚生費の削減等を行った。(4)昭和五二年二月から同五三年三月までの間、管理職の勇退を求め、これにより約二五〇名(三〇パーセント)が退職した。(5)昭和五三年一〇月以降、船舶部門において毎月一二〇人の教育訓練帰休、機械部門で毎月八〇人の臨時休業を行った。
3 しかし、右のような諸方策にもかかわらず、昭和五三年以降も業績は悪化の方向をたどったため、会社は改めて抜本的な施策を実行しなければ近い将来社業の存続自体が危くなると判断し、同年一一月に至り、急遽「経営改善計画」を立案してこれに着手することとした。右計画は、昭和五二年度の売上高に景気の動向その他の諸要因を見込むことにより、昭和五五年度の基準売上高を二一〇〇億円と設定し、これを基礎として同年度において収支の均衡を実現させようとするものであるが、右計画によると、昭和五三年度における経常収支は、船舶部門約一三〇億円、機械本部約三〇億円、本社費用等諸費用計約七〇億円の各赤字となり、橋梁鉄事業本部等好況部門の黒字約三〇億円を差引いても、合計約二〇〇億円の赤字となることが予想された(なお、昭和五四年三月末決算においても、船舶部門の赤字が約一四五億円になるなどある程度の相違はあるものの、全体的には右の予想のように、約二〇〇億円の赤字となった。但し、昭和五四年三月期決算報告書案によれば、四億三三〇〇万円の当期利益が計上され、六パーセントの配当率となっているが、この点会社の証明によれば、赤字決算、減配ないし無配等の事態に立ち到れば、金融機関や取引先の信用を失墜し、社債発行も不可能となるなど、営業活動全般に致命的な打撃を蒙るため、従前の内部留保金を取り崩してその不足を補い、黒字決算の外形をとったものであるというのであり、右説明は理由があるとみられる)。そして、現状の人員・設備体制を維持したままで、コストダウン、販売価格の改善等の経営努力を可能な限り行ったとして、昭和五五年度までの改善額は合計三八〇億円であり、今後の損益状況を想定すると、昭和五三年度二〇〇億円、同五四年度一九〇億円、同五五年度七〇億円、計四六〇億円の欠損が見込まれている。他方、会社が昭和五三年一一月まで内部蓄積している留保金は約三〇〇億円であり、これを取り崩して右欠損に充てたとしても、なお予想される約一六〇億円の赤字については、固定費の削減によって捻出するほかはないとされた(なお、申請人らは、内部留保の評価に関し、有価証券の帳簿評価額と時価との差益一二六億円((会社の計算では二四億円))、為替差益四一億六一〇〇万円((同二三億六〇〇〇万円))、貸付金一六六億〇四〇〇万円((会社は計上せず))等、会社の計算の他にもまだ取り崩し可能な内部留保がある旨主張するが、会社側は、有価証券については取引先の信用維持のため処分不可能、貸付金については容易に回収・利用できないとして会社存続を前提とする以上いずれも取り崩すことは不可能であり、内部留保として取扱うことはできない旨説明している)。そして、会社は右約一六〇億円の固定費の削減方法について検討の結果、昭和五五年度予想売上高から財務的に許容される従業員数は八三四二名であるが、右売上高から逆に算定される仕事量を基礎として各部門別に具体的に必要な人員数を積算すると、適正人員は八、四九五名となり(会社はこれを八五〇〇人体制と称する)、昭和五三年一〇月一日現在の人員一〇、四一二名から約一九〇〇名の減員を実現し、これによって年間約七三億円、昭和五三、五四年の金利負担を含めて合計一五八億円の経費節約をはかる他はないとの結論となった。右の人員構想を玉島製造所(鋳鍛事業部玉島鋳造課を含む)についてみると、その稼働人員は七一六名と想定され、必要な減員数は二四一名に及ぶこととなる。
4 そこで、会社は昭和五三年一一月一一日、総評系三組合及び住重労組に対し、右経営改善計画及び希望退職者を募集するための転退職者優遇制度(特別退職金の支給等を内容とするもの)の実施を提案するとともに、全従業員に対してもその要旨を説明する文書を配付した。右提案に対し、住重労組では検討する旨を回答したが、玉島分会等総評系三組合は、会社は雇用の安定と従業員の生活を守る社会的責務を負っていること、会社資産、営業成績などからみても人員削減をする必要はないこと、今日の造船不況は過剰な設備投資をした経営者の責任であること等を主張して、人員整理を前提とする経営改善計画には強く反対の意を表明した。右交渉を第一回として、昭和五四年一月二九日まで計一一回の団体交渉が重ねられた。
5 会社は、昭和五三年一二月から、右経営改善計画による一九〇〇名の減員を達成するため、前記転退職者優遇制度を適用して希望退職者を募集したところ、五四年一月二四日までに一六七名がこれに応じて退職した。
しかし、このような希望退職の募集だけによっては到底前記減員は達成できないことが予想されたため、右減員が経営改善計画の基本的支柱であって必達の要があるとする会社側は、「勇退基準」なる一定の基準を設定してこれを従業員に一律に適用し、その該当者に対しては強く退職(「勇退」の語を用いた)を求める方針を決定し、なお、任意退職者が減員目標人員に達しない場合には、状況により、右勇退基準該当者に対する指名解雇を行うことをも予定した。そして、会社は昭和五三年一二月一四日、別紙(三)のとおり勇退基準を設定し、直ちに総評系三組合及び住重労組に提示した。右基準によると、まず全社員を対象に一律に適用するものとして第一類型を定め、次に各事業所毎に雇用調整の規模に差があり、また地域事情も異なるところから、右第一類型該当者の退職によっても減員目標人員が未達になった事業所においては各別に右未達人員を補充するものとして第二、第三類型を定めている。右基準の内容を類別すると、年令による基準として、大正一二年以前に生まれた者(第一類型の(1))、同一三年生まれの者(第二類型の(3))、同一四年、一五年生まれの者(第三類型の(1)(2))を、退職による打撃が比較的少ないとみられるものとして、「社内共稼ぎの社員のいずれか一方の者」(第一類型の(2))及び生計維持の可能な別途収入のある者(第二類型の(1))を掲げ、企業の再建、少数精鋭化をはかるため、生産性、企業に対する貢献度の低い者、企業秩序維持上問題のある者を排除する趣旨に基くものとして、第一類型の(3)の<1>ないし<3>、<5>、<6>、第二類型の(2)を定め、また、企業採算上の必要が強いものとして、「不採算部門で内作不適のため廃止する職場(鋳造工場木型部門)に所属する者」(第一類型の(3)の<4>)を掲げている。
なお、会社は各組合に対する右基準の提示にあたり、勇退者が目標人員に達しない場合には計画の必達を期するため基準該当者に対する指名解雇を行うこともある旨を説明した。
6 その後、経営改善計画をめぐる団体交渉が重ねられたが、総評系三組合側は、人員整理の必要性なしとしてこれに強く反対し、勇退者募集そのものにも反対する態度で一貫したため、結局交渉は打切りとなった。他方、住重労組は、会社提案の修正、変更を求めて交渉を重ね、会社側も減員数等について譲歩した結果、昭和五四年一月二五日、会社と同労組との間で、経営改善計画の実施に関する協定の成立をみた。その概要は、(1)経営改善計画による減員数を当初計画の一九〇〇名から一二〇〇名に減じたうえ、昭和五三年一二月一日以降の転退職優遇制度実施による希望退職者一六七名を差引き、最終的に一〇三三名とする。玉島製造所においては当初計画案二四一名を一一四名とする。(2)当初計画人員数との差は、出向又は事業所間の配転によって充足する。(3)出向中の者の減員は約二五〇名とする。(4)勇退募集は全社員を対象として行う。(5)「勇退基準第一類型に該当する人は全員応募されることを期待する」旨の会社提案を住重労組は尊重する。(6)勇退募集の結果、目標人員が未達の場合には、事後の取扱につき別途協議する。等を定め、かつ、特別退職金、再就職あっせんその他の退職条件についても、会社提案に種々の改善を加えたものである。右のとおり、減員数につき当初計画との間に七〇〇名の差を生じたが、会社としては、このうち約三六〇名については昭和五三年一一月一一日以降同五四年一月二四日までの退職者をこれに計上し、今後可能な出向・配転の限度を約三四〇名と見込むことによってその差七〇〇名を充足し、いわゆる生産ラインに従事する人員数は、当初の計画どおり八五〇〇人体制を実現し得るとの判断に立ったものとみられる。
7 会社は昭和五四年二月一日から同月九日までの間、各事業所において掲示物等により全従業員を対象に勇退者募集を行い(玉島製造所においては社内稼働人員一一四名、なお、出向者は全社を通じて約二五〇名)、特に勇退基準第一、第二類型(但し<1>を除く)に該当する人は全員応募することを期待する旨を訴えた。その結果、玉島製造所においては九〇名が応募し、目標人員数に二四名の不足となった。なお、右九〇名のうち八一名は住重労組員、九名は玉島分会員である。
8 会社は、全社的に目標人員の未達を来したことから、今後の方策につき種々検討の結果、各事業所毎に未達人員が異なり、また地域経済社会に与える影響や出向、配転の余地についても事業所毎に事情が異なるので、今後は事業所別に残された人員整理を実施することとし、そのための組合との交渉も事業所毎に行うことにした。ところで、玉島製造所においては二四名未達であったが、応募者の組合別内訳をみると、同地区における基準第一、第二類型該当者のうち、住重労組員八一名は全員が応募して退職したのに対し、玉島分会員は右該当者三〇名(出向者一名を含む)のうち九名のみが応じ、その余二一名が応募、退職をしなかった(なお、両組合とも第三類型該当者からの応募はない)ため、会社は同年二月二六日、住重労組玉島支部及び玉島分会との団体交渉を持ち、右の二一名を実質上の対象者として更に同月二七、二八日に再度勇退募集を行うことを提案した。
そして、右両日再募集を行ったが、右基準該当者二一名のうち二名の応募にとどまったため、なお減員目標人員一一四名中二二名が未達となり、そのうち勇退基準第一、第二類型該当者は一九名(いずれも玉島分会員)となった。
そこで、会社は同年三月二日玉島分会との交渉において、右基準該当者一九名が勇退に応じるよう重ねて協力を求め、かつ、同月五日までになお未達人員がある場合には同月六日で右一九名を指名解雇する(「退職通知書」を各本人に交付する)旨を申し入れたが、同分会はこれにも強い反対を示した。
なお、同月六日に至って、右一九名のうち一名のみが退職したため、対象者は一八名となった。
9 ここにおいて、会社は、玉島製造所における一一四名の減員が経営改善計画遂行に必要な極限の人数であって必達の要があり、かつ、基準第一、第二類型該当者のうち住重労組員は全員勇退に応じたことから、人事の公平、平等を維持し、同労組員の抱く不公平感を払拭するためにも、前記一八名を解雇することもやむを得ないと判断し、同月六日、右一八名に対し本件解雇通知をした。なお、右通知は、先ず同月一二日をもって円満退職することを求め、退職の申出がない場合は就業規則五〇条一項三号「やむを得ない業務上の都合によるとき」により同日付をもって本通知を解雇辞令に代えて解雇する旨を告知するものである。
右通知後一名が退職に応じたため、被解雇者は一七名となり、これが本件申請に及んだものである。
以上のとおり疏明される。
第三、当裁判所の判断
一、整理解雇の要件
1 一般に、企業が経営危機を打開してその存続、再建を図るため、どのような経営合理化方策をとるかは、いわゆる経営権の範囲に属し、経営者の判断が尊重さるべきものである。しかしながら、それが従業員の整理解雇に及ぶ場合、整理解雇が終身継続的な雇傭関係を期待する労働者を、特段の責に帰すべき事由なく一方的に企業外に排除するものであること(もっとも、企業に対する貢献度が低い者とか職場秩序維持の上から問題のある者等を対象とする場合も少くないが、これとても、懲戒処分をするまでには至っていないのが通例であろう)、整理解雇の背景として存する経済不況のもとでは、被解雇者の再就職はもとより容易ではなく、時としてその生活を破壊し生存自体を脅やかすに至ること等に鑑み、整理解雇の効力は、労働契約上の信義則から導かれる一定の制約に服すべきものと解される。すなわち、(1)企業が客観的に高度の経営危機下にあり、解雇による人員削減が必要やむを得ないものであること、(2)解雇に先立ち、退職者の募集、出向配置転換その他余剰労働力吸収のための努力を尽くしたこと、(3)整理基準の設定およびその具体的適用(人選)がいずれも客観性・合理性に欠けるものでないこと、(4)経営危機の実態、人員整理の必要性、整理基準等につき労働者側に十分な説明を加え、協議を尽くしたことを要し、もし右の要件に欠けるところがあれば、解雇権の濫用としてその効力は否定さるべきものと考える。
2 なお、右(1)の要件については、これを極めて厳格に解し、整理解雇を行わなければ企業の倒産が必至であるとか、企業の存立自体が不可能となる場合でなければ、法的に許されないとする見解がある。整理解雇が人員整理の最終的な手段であることを強調する趣旨と解されるが、現実の問題として、司法審査においてその要求するような経営状況の分析及び予見を果して常に完全になし得るかどうか、これが可能であるとしても、例えば、経営者が「倒産必至」の見通しを立てたことが事後的に是認し得られる時点よりも一歩早く解雇した場合は解雇無効となり、逆に一歩遅れるときは必然的に企業の倒産を来すこととなるが、本来自由であるべき経営権の内容にそこまでの制約と危険を課することが果して妥当かどうか、また、一般に解雇対象者が多数ないし高率の場合においてはじめて、倒産の危険回避との関係を生じるのであって、少数ないし低率の場合は、その解雇を行わなくとも直ちには倒産の危険を生じない場合も多いと考えられるが、上記の見解は、右後者について常に整理解雇を無効と断ずるのであろうか。以上のような疑問を免れず右見解に全面的に賛同することはできない。経営危機下における企業経営者の責務とその権限が、倒産という破局からの回避の一点のみに尽きるものではなく、より広く経営状態改善のためのあらゆる努力に向けられるべきものである(株主、従業員一般、会社債権者等はこれを期待しているとみられる)ことからしても、整理解雇を企業倒産必至の場合のみに限局することは、経営権ないし経営の自由を制約することやや大幅に過ぎると言わざるを得ない。
結局、整理解雇を行う必要性としては、単に生産性向上とか人件費節約のためという程度では足りないこともちろんであるが、前記(1)のとおり、客観的にみて企業が高度の経営危機にあり、解雇による人員削減以外に打開の方途がないと認められる場合には、他の(2)ないし(4)の諸点を満たすことと相まって、その効力を是認すべきものと考えられる。
二、本件解雇における右要件の検討
1 会社がその経営上当面する諸状況については、第二の三において述べたところであり、その主力とする造船部門において、世界的船腹過剰の状態、世界における我国の造船シェアの低下、会社の造船受注量の甚だしい下落(昭和五三年度において対四八年度比一二パーセント)、船価の激落(四八年度に比しほぼ半減とされる)、運輸当局による過剰設備削減及び操業調整の施策等の諸状況が集積して、会社の経営を著しい苦境に追込んでいることが窺われる。また、玉島製造所に限ってみれば、主力たる船舶用ディーゼルエンジンの生産減は甚だしく、新規開発機種(印刷機等)への転換に活路を見出そうとしているものの、先発メーカーに伍するにはなお容易ではない状況が看取される。
この間にあって、会社が昭和五三年一一月に立案した経営改善計画の内容はさきに略述したとおりであり、同年度において約二〇〇億円の実質赤字が予想され(なお、同年度決算はこれと符合する結果となった)、内部留保の取崩しにより黒字を計上し配当を実施したものの、右は会社が社会的信用を保持し、資金調達・受注確保等を正常に行うため不可欠な措置であったとみられる。会社の説明によれば、内部留保の総額は右計画時三〇〇億円であり(これに反する資料はない)、五三年度において既にその三分の二を費消し、五四年度においては、実質赤字を右計画において予想した範囲内に止めるべきさし迫った必要のあることが窺われる。
これを要するに、会社は前記一1で述べた高度の経営危機に直面していると言わざるを得ない。
2 会社は、このような危機打開のため、前記一2のように、好況部門の受注増等に努力する一方、人員の減量のため、昭和五一年以降の新規採用の中止、減耗人員の不補充、同五二年一〇月以降の全社的な人員再配置(配転、応援派遣、下請外注作業の社内取込み、職種転換、関連企業への出向・応援派遣等)を実行し、人件費削減のため、役員報酬のカットや不支給、管理職の三〇パーセント勇退、昇給中止、一般従業員に対する時間外労働の規制、大量の一時帰休等を実施したことが認められる。
さらに、経営改善計画決定の後は、退職者優遇制度の拡張による希望退職者募集、続いて前記勇退基準の設定による勇退者募集へと踏み切ったが、なお右計画による人員削減目標に到達しなかった(玉島製造所においてその差は二一名)ことも前認定のとおりである。
これらを通観すると、会社としては、人員整理の最終手段として、必要最小限の整理解雇をすることも必要やむを得ない事態に立ち至っていたと言うことができる。そしてまた、これに先立つ余剰労働力吸収の努力を経たことも右にみたとおりである。
3 会社の設定した整理解雇基準(前記勇退基準)ないしその具体的適用の合理性の有無については、別項において検討することとする。
4 右基準の適用に至るまでの労使間協議の経緯も既述のとおりであって、会社は玉島分会の同意は得られなかったにせよ、多数回の交渉を重ね、説明すべき点は説明を尽くし、同分会の反論も加えられたのであって、必要な協議は経たものと言うことができる。
三、各個別類型及びその適用について
1 第一類型(3)の<1>(申請人橘照彦、同武本道公関係)
右両名は、「過去五年間(昭和四八年一一月以降)に減給又は出勤停止の懲戒処分を受けたことのある者、但し、改悛の情の著しい者は除く」の本文に該当するとして解雇されたものである。
疏明によれば、申請人橘は、上司の作業命令に対し、自己の担当職務外であるとしてこれに応じなかったことで、昭和四九年一〇月二三日、減給二一〇〇円の処分を受けたこと、同武本は玉島製造所から名古屋製造所精機事業部への配転内示を受けたがこれを拒否したため、昭和五三年六月三〇日、出勤停止 (ママ)労働日の懲戒処分を受けたことが認められる。しかし、右橘の処分は、比較的軽微なものとみられるうえ、本件解雇に先立つこと四年余のことであって、右処分歴から、現在なお、職場秩序の維持や能率向上を阻害する者とみなすことはできず、これを理由とする整理解雇は合理性を欠くと言うべきである。また、右武本は右配転拒否により一旦懲戒解雇の処分を受けたが、その後会社組合間の交渉により、名古屋への配転に応ずれば出勤停止に変更する旨が合意され、結局同人が配転に応じたため、懲戒解雇は撤回されたことが認められるのであって、右のとおり結果的に配転命令に服したことによって、会社の人員配置計画は遂行されたこととなるから、右処分の一事を理由に解雇することは合理性に乏しく、かつ、同申請人にとって苛酷に失すると考えられる。
2 第一類型(3)の<2>(申請人信里昌美、同磯崎雄二関係)
右両名は、「過去三年間(昭和五〇年一一月一日から昭和五三年一〇月三一日まで)に事故欠勤、無届欠勤が一年につき三日以上もしくは通算六日以上の者、但勤怠の状況が著しく改善された者を除く」に該当するとして解雇されたものである。
なお、右類型の注記によれば、遅刻・早退・私用外出の著しい者を含み、また無届欠勤は一日をもって事故欠勤二日とみなす旨定めている。
そこで、両名の出勤状況についてみるに、疏明によれば、申請人信里は、昭和五一年事故欠勤一日、無届欠勤三日、遅刻等なし、同五二年事故欠勤一日、無届欠勤二日、遅刻等一回、同五三年事故欠勤、無届欠勤なし、遅刻等一回であり、同磯崎は、昭和五一年事故欠勤三日、無届欠勤なし、遅刻等二六回、同五二年事故欠勤、無届欠勤なし、遅刻等八回、同五三年事故欠勤一六日、無届欠勤なし、遅刻等二五回となっており、いずれも右基準に該当することが明らかであり、かつ、前記但書にあたる事由は窺われない。
一般に、このような欠勤・遅刻等を整理解雇の一基準とすることは、勤労意欲及び仕事への寄与度を就労日数の面から観察し、その低い者を排除しようとするものであって、それ自体合理性がないとは言えない。ただし、無届欠勤を事故欠勤二日と換算することは、労務管理上の必要から一種の約束として定めておく意味があるとしても、それを直ちに整理基準として導入するまでの必然性があるとはみなし難い。前記のような目的からは、このような操作を施すことなく現実の欠勤日数に着目するのが妥当と考えられる。
そこで、申請人信里について、現実の欠勤日数等をみると、昭和五一年から同五三年までの間計七日、遅刻等二回にすぎず、前記基準を上廻ること僅少であり、しかも昭和五三年において欠勤は零であるから、改善の跡は明らかである。このような場合、なお「勇退基準」に該当するとして退職を求めることはともかく、整理解雇基準としてこれを適用し解雇することは、その合理性に大いに疑問があり、到底肯認することができない。
他方、申請人磯崎は、昭和五一年から同五三年までの間事故欠勤計一九日にのぼり、玉島製造所全体での事故欠勤数が昭和五一年度欠勤者数二三名延日数五一日、同五二年度欠勤者一一名延日数二一日、同五三年度欠勤者数八名延日数二六日であることと比較し、また、会社における年間全労働日が二四七日(完全週休二日制)であり、年休二〇日のほか就業規則所定の各種休暇もあることを考え併せると、右の事故欠勤日数は極めて多いものと言わざるをえない。しかも、同人の昭和五三年度における事故欠勤の月別日数をみると、昭和五三年六月に一日、同年七月に七日、同年八月に一日、同年九月に二日、同年一〇月に五日と異常に多くなっており、また、遅刻等も三年間に計四九回(五二年三月からの一年間のみで合計五一時間余)に及ぶのであって、これまた異常と言うほかはない。その間職制の再三の注意にかかわらず改善のあとが見受けられないことをも併せ考えると、経営危機の打開を目ざす会社が、これに寄与するところ乏しい者として、前記整理基準を適用し解雇することの必要性、合理性を認めることができる。すなわち、申請人磯崎に対する本件解雇は有効と判断される。
3 第一類型3の<3>(申請人津田啓三関係)
同人は、「正当事由なく出向に応じられなかった者」に該当するとして解雇されたものであるが、疏明によれば、同人の出向に関する経緯は次のとおりである。(1)申請人津田は、昭和三七年四月二日会社(合併前の玉島ディーゼル工業株式会社)に入社し、その後工作機械の仕上組立作業に従事してきた。(2)会社は、かねて関連会社への出向による社内稼働人員の削減を図ってきたが、玉島製造所においても、東洋工業の販売会社マツダオート各社への出向を依頼し、相当数を出向させることとなった。(3)会社は昭和五三年一二月二〇日、上司である神余課長を通じて、津田に対し「マツダオート倉敷」総社営業所に自動車販売外交員として出向するよう要請し、その際会社経営の現状、本人を選んだ理由(若年で行動力があること、自動車セールスに対する適格性、普通自動車の免許を所持していること、一身上無理のないこと等)を説明するとともに、受入側では昭和五四年一月六日からセールス研修スケジュールを立てているので、参加者の氏名を通知する必要上、同年一二月二五日までに回答するよう指示した。(4)次いで、同課長は同月二一日、二二日の両日、津田に対し右出向を要請したが、同月二五日津田から出向を断わる旨の回答があった。(5)ところで、申請人津田が同年一二月二四日付で玉島分会に加入した旨通知があったので、会社は同月二七日玉島分会と交渉の結果、「マツダオート倉敷」の承諾を得たうえ、同月二八日を最終期限として津田に再考の機会を与えた。(6)同月二八日、津田が年次休暇の件で会社に電話連絡した際神余課長は出向の意思の有無を確認したが、津田は応諾しなかった。(7)翌昭和五四年一月五日に至ってはじめて、津田は同課長に対し、出向に応じる旨を伝えた。(8)しかし、前記のように、出向先ではすでに受入れのための研修行事(メーカーである東洋工業が主催するもの)を決定しており、そのスケジュールを年内に計画・決定することにしていたため、遅くとも一二月二八日までには研修参加者を確定する必要があった。会社が津田に対し、最終回答期限を一二月二八日としたのは、右の事情によるものであり、津田もこの点は承知していたものとみられる。
以上のとおり一応認められる。
ところで、職種変更を伴う出向は、出向者に種々の不利益を与えることがあるから、労働契約上無条件に許されるものではないが、会社が経営危機の状況にあり、雇傭維持努力の一環としてやむをえず出向を命ずるような場合には、これを拒否する正当な理由のない限り、社会的に相当なものとして許容されるであろう。本件についてみるに、会社は当時すでに一次的な減員計画に基き大幅な出向、配転等を実行したが、なお経営の悪化が著しいため、前記経営改善計画を立案、提示していた段階であって、少くとも出向が円滑に行われないかぎり、その再建の計画は基本的に不能に陥る状況にあったとみられる。また、出向先は自宅から通勤可能の距離内にあり、一身上もこれを妨げる特段の事情があったとはみられない。
およそ、企業に人員整理の必要が高度に存するにも拘わらず、整理解雇という手段に訴えることを極力制約しようとする論理は、解雇に先立ち、出向・配転・任意退職の募集・一時帰休その他解雇回避のための努力を最大限に要求し、この点に不徹底がある以上解雇を許さないとするものである。したがって、その出向・配転等が必要、相当なものであるのに、特段の理由なくこれを拒否する者に対し、なお整理解雇を容認しないことは、一種の背理と言うほかはない。
結局、申請人津田に対し前記基準を適用して解雇したことには、必要性、合理性があり、解雇の効力を是認すべきものと判断される。
4 第一類型(3)の<4>(申請人山地正美、同田中範雄、同大島順二、同鈴木公明、同東山充、同福武俊三関係)
右六名は、「不採算部門で内作不適のため、廃止する職場(鋳造工場木型部門)に所属する者」として整理解雇されたものである。
木型部門(船舶用ディーゼルエンジンの鋳物部品製造に必要な木型の製作部門を指す)については、疏明される諸般の状況、すなわち鋳造部門の需要・生産量の激減、外注品と比較してのコスト高(人件費や作業態様に起因するとみられる)、外注品の精度向上、これらに伴う外注比率の増大等の事情から、その廃止自体は、経営合理化のためやむを得ない措置と考えられる。
そこで検討すべきは、会社が右廃止に際し、木型部門に属する従業員らの雇傭維持につき、どのような努力をしたか、解雇以外に方途はなかったか否かの問題となる。
疏明によれば、会社は木型部門廃止にあたり、まず玉島製造所内での配転を検討したが、同所内は全部門にわたり大量減員中であり、特に鋳造課では二分の一の減員を実行しつつあったため、右申請人ら六名の吸収は不可能であった。他事業所への配転についても、木型部門そのものは愛媛製造所に一か所存したが、今回同時に廃止予定であり、また、職種変更を伴う配転については、右申請人ら六名がいずれも入社以来木型作業に専従し、年令も三〇代、四〇代に達していることから、再教育訓練を要する職種転換は困難な状況にあった。そこで、会社は木型外注先あるいは関連の木型会社へ出向させる他はないと判断し、受入れ余力を有すると思われる外注取引先数社に事情を説明し受入れを要請したが、木型部門に属する住重労組員一名について了承を得たに止まり、昭和五三年一二月に右一名のみを出向させた。このような結果になったのは、当該外注会社に受入余力が乏しいことに加えて、これら外注先が右申請人ら六名の人物、就労態度等に懸念を抱き、受入れ後の適応に問頭があるとして拒否したためであることが窺われる。
右のように、会社は申請人ら六名の配転、出向につき考慮し、その努力も経たことが一応認められ、木型部門廃止の必然性と併せ考えると、このような場合、なお整理解雇の効力を否定することは、会社にとって過重な負担を強いるものとの見方もあり得るであろう。
しかしながら、申請人ら六名はいずれも若年で入社し、直ちに木型工として養成され、一貫して木型部門で就労してきたものであって、これは会社の決定、指示に基くものである。また、右六名は他の基準類型にみられるような、個人的な態度、行動等を問題にされているものでもない。これらの点を考えると、木型部門の廃止により、直ちに無用のものとして社外に排除することは、申請人らにとって苛酷に過ぎるとの感を否定できない。年令等の点で困難はあっても、再教育訓練により職種転換をはかり、仮に玉島製造所内に配置が困難であれば他の事業所に配転させてでも、雇傭維持に努力するよう会社に期待すべきものと考える。
なお、また、会社は経営改善計画(Ⅱの2)において、「内作不適格のもの(中略)は別会社化を検討する」と表明しているところ、右は特に木型部門を除外する趣旨とは解されないが、本件解雇の際、木型部門の右別会社化の問題をどの程度具体的に検討したのか、またその検討の結果実行不能との結論に至ったものであるのか、この点十分な疏明がないから、別会社設立、同社への出向という方法による解雇回避の途も残されていると解して差支えないであろう。
以上のとおり、申請人山地ら六名については、解雇に先立って会社の採るべき手段の余地があり、これを尽くさないでした本件解雇は、権利の濫用としてその効力を否認すべきものである。
5 第一類型(3)の<6>(申請人昼田重直、同遠藤経正、同白神昇、同樋口昌弘、同赤沢徹関係)
右申請人ら五名は、「勤労意欲にかけ業務に不熱心な者及び勤務成績の不良な者」に該当するとして解雇されたものである。
ところで、勤務成績不良者を整理基準とすることは、一般的にみて、優秀な労働力のみを結集して企業運営の合理化、能率化をはかろうとする人員整理の趣旨によく適合するから、その基準が正しく公平に適用される限りにおいては、適切かつ合理的といえよう。整理解雇の基準としてしばしば掲げられ、論ぜられるのは右の理由によると解される。
疏明によれば、会社は昭和五四年一月三〇日、右類型の具体的運用について、次のとおり細目を定めて各組合に通知したことが認められる。すなわち、右にいう勤務成績不良者とは、定期昇給成績査定(人事考課)の昇給点数が、昭和五三年度において五・五点以下であって、かつ昭和五一年度もしくは同五二年度のいずれかが五・五点以下の者を指すとした。右査定は、毎年四月一日定期昇給の際基本給昇給を定めるため行なわれているもので、その実施方法は、一定様式の考課表に組・班長、職長、係長等の職制が評点を与え、担当課長が最終的に決定する。考課項目は職階によってやや異なるが、「職務知識」「人物」「勤務振」(以上各職階共通)、「確実性」「速度」(三職階)、「企画力」「技倆」(四職階)の各五項目から成り、各項目ごとに最低四点から最高二〇点まで四点きざみに五段階で評点し、その合計点(考課点数)を「定期昇給実施要綱」中の昇給点数表により昇給点数に換算する。同表によれば、昇給点数は2ないし10の九段階であるが、〇・五点を一単位とするから、全体で一七段階となり、昇給点数五・五点は最高位(一〇点)から一〇番目、最下位(二点)から八番目に位置する。そして考課点数五〇ないし五四点が昇給点数五・五点に該当することになる。
昇給点数の分布は、会社の釈明によれば、原則として四・〇点から八・〇点の間にあって、大多数の者は六・〇点に集中しているのが実態であり、五・五点以下の者は昭和五二年度四〇名(三・八三パーセント)、昭和五三年度四五名(四・・三七パーセント)(以上玉島製造所関係)というのであって両年度とも極めて少数ということができる(右の釈明は一応信用し得るものと認められる)。
そして、右申請人ら五名の昇給点数は、昭和五三年はいずれも五・五点であり、同五一年、五三年のいずれかが五・五点または六・〇点(申請人赤沢のみは三か年を通じて五・五点)であって、いずれも前記運用細目に合致することが疏明される。
以上のとおり、勤務成績を客観的な数字として表わそうとする配慮はみられるものの、その基礎となる考課内容自体は、前記のとおり人物・勤務振りその他評定者の主観的判断の入り易い項目であることは否定できないし、また、大多数の者が昇給点数六・〇であるのに対し、申請人らはいずれも五・五点(申請人昼田、同遠藤、同白神、同樋口は六・〇点が各一回ずつある)であって、その差はわずか〇・五点(考課点数にして一点から一四点の差)にすぎず、この差が果して解雇を決定するほどの重大なものか、疑問なしとしない。五・五点以下の者はなるほど玉島製造所内において僅少であるが、他方、会社釈明によれば、会社全体での昇給点数の実態は、五・五点以下の者昭和五二年度一二六三名(一一・四三パーセント)、同五三年度一三四三名(一二・六九パーセント)というのであり、玉島において何故にさほど僅少なのかその理由は明らかでなく、この点でも評定者の主観の混入が疑われるのみならず、同基準類型該当者数を両組合間で比較すると、全社的には住重労組八一名、全造船玉島分会一〇名であり、玉島製造所内においては住重労組玉島支部四名(約九〇〇名中)、玉島分会一〇名(約一〇〇名中)であって、組合員数に比較し玉島分会員の占める比率が甚だしく高いことが明らかである。同分会員であることの故に不当に低く評価されたものか、いま直ちに明らかにする資料はないけれども、その比率の差は極端であって、評価の偏りを推測させるものがある。
以上の諸点を総合すると、会社の考課表を唯一の資料として、申請人昼田ら五名を被解雇者に選定したことは、公平及び合理性の面で疑問が大きく、本件解雇の効力を肯認することはできない。
6 第二類型(2)(申請人辻寿雄関係)
同申請人は、「過去三年間(昭和五〇年一一月一日から同五三年一〇月三一日まで)に年次有給休暇及び就業規則所定の休暇以外の欠勤が一年につき五日以上もしくは通算一〇日以上の者」に該当するとして解雇されたものである。会社の釈明によれば、右にいう欠勤は、いわゆる事故欠勤(第一類型(3)の<2>)のほか、病気による欠勤を含む趣旨とされる。
疏明によれば、同人の欠勤日数は、昭和五一年(一月ないし一二月)病気欠勤四日、同五二年病気欠勤一七日(内診断書提出分五日)、事故欠勤二日、同五三年病気欠勤八日、事故欠勤二日であって、右基準に該当することは明らかである。また、右類型の注記によれば、遅刻・早退等は四回で欠勤一日とみなす旨を定めており、右は労働力不提供という同質のものを換算する妥当な定めとみられるが、同申請人は昭和五二年一〇回(換算二・五日)、同五三年一六回(同四日)の遅刻・早退を重ねたことが疎明される。
前記2において述べたように、欠勤・遅刻等を整理解雇の一基準とすることには合理性が認められるし、会社における年間労働日が二四七日で、年休、各種休暇等もあることを考えると、右基準に定める日数が過少とは言えない。そして、申請人辻の欠勤はこれを上回ること甚だしいものがある。しかも、真実病気欠勤が多いのであれば、健康面での職務適格性が問題となることはさておき、少くとも就労意欲の不足を云々することはさし控えるべきであろうけれども、同申請人が病気と称して欠勤したもののうちには、家庭の都合や交際上の理由からであるにもかかわらず、病気欠勤として届け出たものがあることを申請書中において自認しているし、また、例えば五二年の病気欠勤一七日中診断書提出は五日のみであることからもこのことが推測される。そして、上司の再三にわたる注意にもかかわらず、改善のあとを窺うに足りない。
このような場合、会社経営の現況に鑑み、寄与の程度が劣る者として整理解雇の対象とすることは正当というべく、同申請人に対する本件解雇は有効と判断される。
7 上記1ないし6の総括
上記のとおり、申請人磯崎雄二、同津田啓三、同辻寿雄に対する本件解雇は有効であるが、その余の申請人ら一四名に対する本件解雇は、解雇権の濫用として無効と言うべきである。
四、不当労働行為の主張について
右三名に対する解雇がその必要性、合理性その他の効力要件を具えることは既に述べたとおりであり、会社が申請人らの言うような不当労働行為意思をもって本件解雇をしたと認めるには足りないから、右主張は採ることができない。
五、被保全権利
以上のとおりであるから、申請人磯崎、同津田、同辻を除くその余の申請人ら一四名と被申請人との間には、現に雇用関係が存続しているものであって、右申請人ら一四名は労働契約上の権利を有し、別紙(一)認容金額一覧表一時金欄記載の金額(昭和五四年三月分賃金未払額)の支払を受ける権利及び同年四月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り同表月額賃金欄記載の金額(基準内賃金と出勤手当平均額との合算額)の支払を受ける権利を有すると言うべきである(なお、右各金額自体は被申請人も明らかに争わないところである)。
六、保全の必要性
疏明によれば、右申請人ら一四名はいずれも会社から支払を受ける賃金のみによって、或いはこれを中心として本人及び家族の生活を維持してきたもので、他に特段の収入はないことが認められるから、賃金の支払がなければ、その生活に困窮し、著しい損害を蒙るおそれがあると推認される。したがって、本件仮処分の必要性を認めることができる。
第四、結論
よって、申請人磯崎雄二、同津田啓三、同辻寿雄の本件申請はいずれも被保全権利が存しないかまたはその疏明を欠き、保証をもって代えさせることも相当でないので、失当として却下することとし、その余の申請人ら一四名の本件申請はいずれも理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 田川雄三 裁判官 岡久幸治 裁判官 小島浩)